2010年11月28日日曜日

全史料協大会(京都市)に参加しました【番外編】

 
 11月24日・25日の両日、京都市で開催された全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)大会参加記の番外編です。

 毎年、全史料協大会の会場には、史料保存に関する専門業者(保存グッズや史料のデジタル化、史料保存関連書籍など)のプレゼンコーナーがあります。そんな中に、古文書の辞書でおなじみのT社のブースがありました。



 難の気無しに声をかけて、私が『くずし字用例辞典』の20年来のユーザーで、版権がT社に譲渡される以前のK社版を使用している事を話すと、ブース担当の社員さんが「ありがとうございます、私、この辞典と共にK社からT社に移籍した社員なんです。」とのこと。なんとも奇遇ですなぁ。

 聞けば、『くずし字用例辞典』はかつて業界老舗のY社に努めていた方が独立してK社を起こし、みずから毛筆で1文字1文字書き上げて作り上げた辞典だそうです。私はてっきり、古文書に記された文字を膨大に撮影して、その写真を貼り合わせて出版したものだと思っていましたから、びっくりしました。

 残念ながらK社は廃業してしまいましたが、今もT社にはK社から移籍した方が2名ご活躍中で、この辞典の販売やデジタル版の制作などに従事されているとのこと。座右の愛用品に係わる「小さな歴史」を知って、なんとなく中島みゆきの「ヘッドライト・テールライト」(NHK「プロジェクトX」エンディング曲)が聞きたくなりました。

(主任学芸員 松下師一)

2010年11月24日水曜日

全史料協大会(京都市)に参加しました

 
 秋は学会シーズンですね。私は今年も全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)の第36回大会に参加しました。今年の大会は京都府立総合資料館が事務局を担当し、京都市の京都府民総合交流プラザ(京都テルサ)を会場に開催されました。



 仕事の都合上、初日だけの日帰り参加となったため、早朝に松茂を出発、なんとか希望する研修会C「公文書管理『新時代』に向けた取組」(講師:内閣官房公文書管理検討室 岡本信一 参事官)に間に合いました。

 公文書管理法の施行に向けたスケジュールや、地方公共団体(都道府県、市町村)の努力義務の実際(なにを、いつまでに、どうするべきか)など、今後の当館の業務を考えるヒントに溢れた1時間でした。



 さて、本年度の全史料協大会の試み、「ポスターセッション」(上の写真)、実によかったですね。ポスターや「壁新聞」?を前に、一生懸命に説明している学生さんや各館の若手職員さんの見ると、私の学生時代の「古文書展・考古展」を思い出しました。何名かの方に、「松下さんの館もやったらどうよ?」と声をかけていただきましたが、今はちょっと余力がないと思います。

 午後は、記念講演です。講師は、1970年代に京都府立総合資料館で「東寺百合文書」(国宝)の受け入れを担当し、その後も整理・調査に従事された上島有先生(摂南大学名誉教授)です。テーマは、東寺百合文書(1997年国宝指定)に関する理論と実践の講演です。

 上島先生が言うところの文書のアーカイブズ情報(「かたち」「かたまり」「かさなり」)について、とてもいいお話でした。国宝・東寺百合文書を事例にして具体的で説得力があり、正直、初心に帰って感動しました。今、淡路島で取り組んでいる資料整理の実務もあって、より一層、古文書整理に対する理念と信念を強くしました。記念講演をご用意くださった京都大会の事務局に感謝を申し上げます(ただ、惜しむらくは、もっと時間が欲しかった)。

 その後、総会となり、この業界を巡る様々な課題が議論されました。



 実に多様な意見が出ました。課題の確認・共有が図れてよかったと思います。



 総会終了後、心残りながら会場を後にしました。職務上の都合により、今年は初日だけの出席です。会場の外は、もうすっかり暗くなっていました。



 松茂行き高速バスが出発するJR京都駅烏丸中央口は、和ろうそくのような京都タワーがすてきでした。

(主任学芸員 松下師一)

2010年11月23日火曜日

古文書合宿(淡路島編)

 
 21日(日)の朝から今日(23日)の夕方まで、2泊3日の「古文書合宿」に行ってきました。文化庁の助成事業の史料調査(「淡路人形浄瑠璃元祖・上村源之上座」の調査)を、なんとしても年内に成稿させるべく、いわゆる「かんづめ」での必死の作業です。

 合宿地の「ゆずるは荘」

 初日は有名作家気取りで意気揚々と深夜まで作業に取り組めましたが、昨日一日、宿所の「ゆずるは荘」から一歩も出ずに作業していると、なんだか精神的な疲労が蓄積しました。加えて、和室で座卓の作業は腰への負担が大きく、少々腰痛気味です(ただ、宿所の料理と風呂はよかった。近場の家族旅行にお薦めです)。

 室内のようす

 で、43歳の私がダウンしそうなのに、70歳のM先生と、60歳のN先生は元気です。深夜の作業でも、私が「日付も変わったし、もうそろそろ寝ますか?」と問いかけても、「いや、もう少し切りがいいところまでしましょう!」との返事。そのパワーに敬服しました。

 この合宿後も、仕事の合間を見て、地味な古文書整理を継続しなければなりません。諸先輩に負けないよう、がんばらねば。

(主任学芸員 松下師一)

2010年11月16日火曜日

原稿続きで困った、困った!

 
 小さな公立博物館の学芸員(歴史担当)という職業柄、長短さまざまな原稿を執筆することになります。

 ここ10日ほどの間も、『町誌』のエッセイ1本、『広報まつしげ』3ページ、某長編論考1本(本文のみ)、そして当ホームページの投稿3本というところです。さすがにこれだけの量を執筆すると、少々、睡眠時間が不足気味です。もはや中年で「完徹」(完全徹夜)は無理なのですが、某長編論考の執筆で「半徹」(半分徹夜)を2日いたしました。

 「う~ん、眠たい」というところですが、どうしたわけか「出来た! 書き終えた!」という満足感の方が勝っており、眠いけど元気という状態です。・・・と、そんなこと書いてる間に、次なる原稿のリミットが迫っています。困った、困った! がんばらなきゃ。

(主任学芸員 松下師一)

2010年11月8日月曜日

宮島 金刀比羅さんのお祭り(3)

 
 実は、今日(11月8日)も宮島の金刀比羅さんへ立ち寄りました。家庭の事情で、日に数回、門前を往復するものですから、露店が無くなって「祭の後」の雰囲気を見に行きました。

「祭の後」、もう露店も無い

 たぶん、祭礼の前に氏子総出で草刈りや清掃をしたのでしょう、境内がすっきりして歴史的構造物がよくわかります。例えば池の中島の小宮さん。普段は雑草に覆われて立ち入りできず、写真も撮れない状況ですが、今日はばっちりOK。



 ちなみに昭和10年代に旧海軍基地の造成により姿を消した松茂町住吉の「住吉神社」にも、境内に池があり弁財天が祀られていました。今に遺っていたなら、こんな感じだったのでしょうか。

 そうそう、松茂といえば、下記の常夜灯の寄進者名にも注目です。



 寄進者名には、江戸時代の旧村名(おおよそ現在の大字に相当)がずらりと連なっています。宮島 金刀比羅さんの地元、徳島市川内町域の旧村はもちろん、松茂町域の旧村名も揃っています。往時、この神社が地域で一番の権威と社格を誇った歴史が感じられますね。

 そして、境内の外も歩いてみました。



 本殿南側、県立十郎兵衛屋敷方向との三叉路の部分に、玉垣の寄進者として「三木與吉郎」(松茂町中喜来の旧家・元の藍商で、徳島県を代表する素封家)の銘を発見しました。航海の守り神・金刀比羅神社に、三木家ご用船の航海安全を祈願したものでしょう。



 ちなみに、「三木與吉郎」銘の石材(水平方向・横書き)の左の石柱には、近世・小松島を代表する大商人「井上甚右衛門」の銘があります。この井上家の古文書は、「井上家文書」として、徳島県立文書館に寄託されています。私が松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館に就職する前、県立文書館で非常勤職員として働いていたときに、ほんの一部ですが「井上家文書」の整理を手伝ったことが思い出されました。

(主任学芸員 松下師一)

宮島 金刀比羅さんのお祭り(2)

 
 土曜(11月6日)の夜、宮島の金刀比羅さんで白い木馬を発見して、「???」と思いながら帰ろうとすると、大鳥居の前で祭の世話役らしき人が「明日、宝物の公開があります。どなたでもご覧になれますから、見に来てくださいね。」と声をかけてくださいました。

 「おっ!宝物とはラッキー、明日、必ず観よう!」と決心し、その夜は帰宅しました。

 夏のサイクリング途中の「大松遺跡現地説明会」といい、この宝物公開といい、時には近所を散策してみるものですね。驚きの発見があります。

 そして日曜日、さっそくやって来ました。午前10時、参道のお店も営業開始ですね。



 鳥居に貼られたポスターによると、公開資料は「宮嶋金比羅絵巻物」と「祭礼絵巻関連史料」とのこと。ワクワクしますね。



 境内にある展示会場の「宮島会館」です。隣の巨大な常夜灯が、往時の阿波藍商人の財力・隆盛と、金刀比羅神社の繁栄を偲ばせます。



 会場内に入ると、まず手前側に、「明暦第三丁酉歳」(1657年)の年記がある「縁起」1巻と、関連史料2巻が展示されています。



 奥側に、「縁起」とほぼ同時期に作成されたと考えられる極彩色の「絵巻」1巻がありました。すばらしい!



 聞けば、近年、関係者の家から発見され、すぐさま先月22日に徳島市文化財に指定されたとのことです。納得です。

(主任学芸員 松下師一)

2010年11月7日日曜日

宮島 金刀比羅さんのお祭り(1)


 昨日(11月6日)、仕事帰りに用事を終えて帰宅しようとすると、近くのお宮(宮島の金刀比羅さん)に夜店が出ていました。秋の祭礼です。

参道の夜店

 なんだか懐かしい雰囲気に、車を停めて立ち寄りました。しばし散策です。

本殿・拝殿から参道を望む

 すると、本殿横の建物の中から、なんだか白いものが私を見つめています。

 何だ!なんだ!??

?馬?

 馬です。白馬です。木でできた白馬です。いったい何に使うのでしょうか?

(主任学芸員 松下師一)

2010年11月1日月曜日

「第25回国民文化祭・おかやま2010」に行ってきました(後編)

 
 いやはや、午後から土砂降りです。

土砂降りの「武蔵の里」

 昼食後、念願の「人形劇団かじまやぁ」(沖縄県)を観劇しました。

 私が初めて国文祭で人形劇を見た第19回国文祭「ちくしの全国人形劇まつり」(福岡県筑紫野市)で、初日のプロ公演の一つが「人形劇団かじまやぁ」でした。あいにく満員札止めで、しかも筑紫野市実行委員会から事務説明を受ける時間と重なったので、観劇できませんでした。後日、日本経済新聞の徳島支局長(当時)から、「すばらしかった。感動した!」と聞いていたので、「いつか見たいなぁ~」と思っていましたが、美作市で観ることができるとはラッキーでした。

 会場へ入ると、なるほど「ほぼ満席」です。プロの公演で、同時間帯のアマ公演もないので、人形劇ファンが全員集合した雰囲気です。後でわかった話ですが、「人形劇団かじまやぁ」は十数年来、旧・東粟倉村(現・美作市)と交流があったとのこと。「ほぼ満席」も当然ですね。

 観た感想は、「なるほど、すごい!」というところでしょうか。第20回国文祭「まつおか人形劇カーニバル」(福井県松岡町)で、初めて「むすび座」の「西遊記」を観たときの印象に近いものがありました。人形の3次元の動きに、またスピード感あふれる動きに、素直に感動しました。

 歴史に「もしも」はありませんが、“もしも筑紫野で「人形劇団かじまやぁ」を観ていたら”、第22回国文祭「まつしげ人形劇フェスティバル」に呼んでいたかも知れません。

 終演後、あまりの雨に「もう帰ろうかな~」とも考えましたが、それを思い止まらせたのが、スタンプラリーの存在。息子のマス目を全部スタンプで埋めたいという一念で、もう一つ見ることにしました。

午前中は、曇りでした
 
 最後の人形劇は、昨年、磐田市の実行委員を努められた「人形劇団どんぐり」です。結末はちょっと不思議でしたが、わかりやすい作品だったと思います。

 終演後、ちょっと言葉を交わしましたが、「国文祭のノウハウが継承できない」ことを残念がっていました。同感です。

 まあ、とにかく天候不順でした。こんな雨にたたられては、どれだけ準備をしてもうまくいきません。準備にあたられた実行委員会の皆さん、本当にお気の毒でした。来年の国文祭で、京田辺市(現代人形劇)と京丹波町(伝統人形劇)が、晴天になることを祈りましょう。

土砂降りの中、帰りの駐車場
 

(主任学芸員 松下師一)

「第25回国民文化祭・おかやま2010」に行ってきました(前編)

 
 昨日(10月31日)、第25回国民文化祭・おかやま2010、美作市の「大道芸・人形劇フェスティバル」に行ってきました!

 自分なりに国文祭(人形劇)との関わりをまとめてみると、・・・
  • 第19回 福岡県筑紫野市、視察員
  • 第20回 福井県松岡町、視察団の随行員
  • 第21回 山口県光市、視察団の随行員 兼 引き継ぎセレモニーの進行係
  • 第22回 わが徳島県松茂町、主催事務局担当者として必死の2日間(準備は3年間)
  • 第23回 (1回休み ※ 茨城県の国文祭は、人形劇部門なし)
  • 第24回 静岡県磐田市、劇団関係者として人形浄瑠璃芝居の裏方
 そして、今回、はじめて一般のお客さんとして、日帰り家族旅行で人形劇を見に行きました。以下、リポートです。

*          *          *          *

 朝5時30分に自宅を出発、途中2回休憩するも、神戸淡路鳴門道→山陽道→播但連絡道→中国道→鳥取道と、どれも空いていて朝9時前に会場に到着。

歓迎アーチ

 まだ準備中のようですが、模擬店もいっぱいで、「祭(まつり)」感は盛り上がっています。昨年の新型インフルエンザ対応(磐田市ではイベント自粛の余波で屋外に人がいなかった)は嘘のようです。

休憩テント前・模擬点街

 早速、「人形劇団ころりん」(大阪府)の公演会場へ。ちょっとお客様は少なかったですが、うちの息子には大受けでした。何かツボに入ったらしく、一日中、「最後の○○○おもしろかったなぁ~」と言っていました。

 「人形劇団ころりん」は、12月の「まつしげ人形劇フェスティバル2010」で、18日(土)の午後に公演してくださいます。ぜひ大勢のお客様でお迎えしたいと思います。PR、がんばります。

 引き続き、「むすび座」(プロ/名古屋市)の会場へ移動。1時間もあるので大きな作品かなと思いきや、小さな作品の2本立てでした。最初の1本目は、往年の「できるかな」、最近の「ピタゴラスイッチ」的な作品で、台詞がないので乳幼児から楽しめるものです。以前、鳴門市の保育所のフェスに「むすび座」を紹介したことがあるのですが、たぶん、こんな作品を上演してくれたと思います。これならば、乳幼児にもOKですね。安心しました。2本目は、人形劇に定番の「さるかにばなし」。素直におもしろかったです。ざっと200名ぐらいのお客様でしたが、みんな笑っていました。

 美作市では大道芸フェスと同一開催なので、大道芸的な味わいの作品をチョイスされたのかも知れませんが、せっかく「むすび座」を呼ぶのなら、もうちょっと上の年齢層向けの大きな作品でもよかったと思います(ちょうどよい広さの会場もありましたしね)。

岡山県マスコット・ももっち

 そして松茂町から出演の「影絵劇団はなほな」の会場へ。会場配置の都合上、屋外の賑わいが集客に繋がりにくいのがネックです。でも、そこそこお客様が入った時点で開演!

 まあ、「影絵劇団はなほな」は、安心して観劇できます。第22回国民文化祭(わが徳島県松茂町)で誕生した劇団が、みんなの頑張りで継続し、第24回(静岡県磐田市)、第25回(岡山県美作市)と出演していることを、関係者の一人として、本当に誇らしく思います。なお、12月の「まつしげ人形劇フェスティバル2010」では、19日(日)に“新作”を午前と午後の2回公演します。ぜひ観に来てくださいね。

 で、終演して外へ出ると、「ひぇ~」、土砂降りの雨。

 なんとか仮設テントで模擬店のメニューをいただき昼食にしましたが、お客様はどんどん帰っていきます。「こりゃ、模擬店は赤字じゃないか?!」と心配です。私が担当した第22回国文祭の時、模擬店の赤字防止に苦労したことが脳裏をよぎりました。でも、息子はテント下で行われた腹話術に見入っていました。「おとうさん、あの人形、電池が入っとんのか?」と好奇心満々です。


(主任学芸員 松下師一)