2010年11月8日月曜日

宮島 金刀比羅さんのお祭り(3)

 
 実は、今日(11月8日)も宮島の金刀比羅さんへ立ち寄りました。家庭の事情で、日に数回、門前を往復するものですから、露店が無くなって「祭の後」の雰囲気を見に行きました。

「祭の後」、もう露店も無い

 たぶん、祭礼の前に氏子総出で草刈りや清掃をしたのでしょう、境内がすっきりして歴史的構造物がよくわかります。例えば池の中島の小宮さん。普段は雑草に覆われて立ち入りできず、写真も撮れない状況ですが、今日はばっちりOK。



 ちなみに昭和10年代に旧海軍基地の造成により姿を消した松茂町住吉の「住吉神社」にも、境内に池があり弁財天が祀られていました。今に遺っていたなら、こんな感じだったのでしょうか。

 そうそう、松茂といえば、下記の常夜灯の寄進者名にも注目です。



 寄進者名には、江戸時代の旧村名(おおよそ現在の大字に相当)がずらりと連なっています。宮島 金刀比羅さんの地元、徳島市川内町域の旧村はもちろん、松茂町域の旧村名も揃っています。往時、この神社が地域で一番の権威と社格を誇った歴史が感じられますね。

 そして、境内の外も歩いてみました。



 本殿南側、県立十郎兵衛屋敷方向との三叉路の部分に、玉垣の寄進者として「三木與吉郎」(松茂町中喜来の旧家・元の藍商で、徳島県を代表する素封家)の銘を発見しました。航海の守り神・金刀比羅神社に、三木家ご用船の航海安全を祈願したものでしょう。



 ちなみに、「三木與吉郎」銘の石材(水平方向・横書き)の左の石柱には、近世・小松島を代表する大商人「井上甚右衛門」の銘があります。この井上家の古文書は、「井上家文書」として、徳島県立文書館に寄託されています。私が松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館に就職する前、県立文書館で非常勤職員として働いていたときに、ほんの一部ですが「井上家文書」の整理を手伝ったことが思い出されました。

(主任学芸員 松下師一)