2011年6月16日木曜日

緊急雇用制度を利用して

 
 一昨年度(平成21年度)から、松茂町歴史民俗資料館・人形浄瑠璃芝居資料館では、国の緊急雇用制度を利用して調査員を雇用し、歴史資料(古文書など)の調査・整理を行っています。

 現在、調査・整理作業中の古文書は、明治時代に初代松茂村長を務めた人物に関するもので、地方政界のみならず、財界でも活躍された名士の史料です。調査員さんが封筒入れ・形状の測定・年月日など基本情報の調査をした後に、学芸員(私)が標題(古文書のタイトル)を付けていきます。1点ものの古文書には、書籍のようにあらかじめ決められたタイトルが無く、その都度に内容を考証して標題を作成します。時間がかかるのが難点で、なかなか作業がはかどりません。

 ただそれでも、明治22年(1889年)の「松茂村」発足に関する史料や、明治時代の吉野川水系の治水に関する史料など、地域史の空白を埋める古文書が数多く含まれており興味は尽きません。特に「市制」「町村制」の施行により、国策として進められた明治22年の合併について、地域社会がどう対応したかが推測できる史料もあり、今後、しっかりと研究を進めなければならないと決意したところです。

(主任学芸員 松下師一)

2011年6月12日日曜日

「学芸員らしい」1日

 
 昨日(6月11日・土曜日)は朝から晩まで、終日、「学芸員らしい」1日でした。

 午前中は「古文書講座(中級)」の講師をし、明治時代の「住吉新田跡書帳」の解読を行いました。

 厳密にいうと中級は輪読方式なので、解読するのは受講生の皆さんです。講師(私)は難読箇所や歴史的背景の解説を行い、第一義的には解読しません。毎回、受講生の皆さんはしっかり予習をしてきますので、テキストはすいすいと進みます。

 ただ、今回は「石油炭焚」という言葉に悩みました。明治時代の末に、道路補修で使われた「石油炭焚」とは何でしょう。悩んだ揚げ句、それは石油や石炭(コール)を焚いたもの、「コールタール」のことであろうという結論になりました。明治時代の「くずし字」の解読には、江戸時代のそれと違った難解さがあります。

 午後は「古文書講座(初級)」でした。初級は文字どおり「初歩から」教えますから、私が一字一句板書しながら進めていきます。昨日のテキストは江戸時代の「秤改めの通達」です。不正な秤(千木)を使用していないか、幕府が指定する検査者が京都からやって来るという内容でした。

 それにしても、午後からは不思議と疲れました。昨年1年間、初級講座を休止したので、まだ勘やリズムが戻っていないのかも知れません。

 業務終了後は徳島市内へ移動して、午後6時30分から徳島地方史研究会の6月例会です。若手新会員2名による報告でした。

 最初の報告は、織豊期の備作地域(宇喜多家領)の寺社統制の研究で、後の報告は、江戸後期の大坂の人足寄場の研究でした。いずれも手間と時間をかけた丁寧な研究で、聞いているうちに20数年前の学生時代に戻ったような気持ちになりました。近頃の自分といえば、「薄く広い研究」が多いので、時々には「狭く深い研究」がしたいですね。

 今後、ご報告の2人が、徳島をフィールドに充実した研究をされることを期待します。

 そんなこんなで帰宅すると夜10時前です。疲れましたが「学芸員らしい」充実した1日でした。

(主任学芸員 松下師一)

 

2011年6月6日月曜日

久々、東京にて(3)

 
 5日の午後は、豊島区内某所へ移動し、人形浄瑠璃研究でたいへんお世話になっているW大学のK先生とお会いしました。

 地方における浄瑠璃本関係の資料調査のこと、博物館・図書館のこと、東北の被災のこと(K先生は福島県のご出身です)など、様々な意見交換をしました。また、K先生の近著「浄瑠璃本のベストセラー」(『文学』第12巻・第2号、岩波書店、2011年3・4月号)の抜き刷りを頂戴し、粗々、概略をお聞かせくださいました。今日、全国に残る浄瑠璃本を外題(作品)別に数量的に集計し、その多少をランキング化した労作です。1か月を目処に精読して、疑問点などお尋ねしたいと思います。

 ところで、K先生お薦めの洒落た喫茶店でお会いしましたが、さすが東京、徳島の喫茶店とは決定的に違うところがありました。それはなんと言っても、ノートパソコンを持ち込み執筆する人の多いこと。日曜の昼下がり、店内そこかしこで資料を見ながらキーボードを叩いている人がいます。感心しました。

(主任学芸員 松下師一)

久々、東京にて(2)

 
 シンポジウムの翌日(5日・日曜日)は、飛行機の時間まで何も予定を決めていませんでした。飛行機で出かける場合、不思議なもので日帰りで往復するよりも、宿泊とパックで往復航空券を買った方が安くなるのです。シンポの後の懇親会にも出たかったので、特に翌日の予定はなかったのですが、1泊しました。

 幸い、懇親会の席で関東部会のKさんが平和記念展示資料館(新宿住友ビル48階)に転職したと聞き、パンフレットも頂戴しましたので、5日の午前中、さっそく見学してきました。

 わが松茂町には戦時中、旧海軍航空隊の基地(神風特別攻撃隊の基地)があり、戦史にも深い関わりがありますから、よい機会です。

 電車で新宿駅まで移動。てくてく地下街を歩き始めましたが、なかなか着きません。悲しいかな通りを1本間違えました。地上に出ると、東京都庁でした。




 都庁第1本庁舎から都議会議事堂をはさんで隣が、目指す新宿住友ビルです。



 新宿住友ビル48階へあがると、エレベータホールから中庭ガラス窓の向こう側に「平和記念展示資料館」の表示を見つけました。



 残念ながら「館内撮影不可」ということなので写真を掲載できませんが、かなり丁寧なつくりのジオラマが目を引きました。もちろん、実物資料(その多くは遺品)は心を打ちました。そんなに広くない展示室ですが、ほぼ1時間ほど見学しまた(展示の主な内容はホームページで見ることができます)。

 順路の最後には視聴覚のコーナー(ビデオライブラリー)もあり、松茂町ゆかりの展示を見つけました。旧海軍徳島航空基地(神風特攻隊の基地/戦時中、松茂の面積の半分近くは航空基地に占有されていた)に所属していた西村晃さんの回顧録(朗読テープ)です。特攻の直前に記した遺書の朗読でしたが、幸い西村さん自身は出撃中止になり、戦後、俳優(例えば2代目水戸黄門など)として活躍されました。

 ところで、道中、1本通りを間違えて都議会議事堂の前を通ったとき、素敵なモニュメントを見つけました。



 「東京都民平和アピール 平成7年」と記してありました。

(続く)


(主任学芸員 松下師一)

  

久々、東京にて(1)

  
 主任学芸員の松下です。6月4日(土)・5日(日)、2年ぶりに東京へ行ってきました。地方史研究協議会全国歴史資料保存利用機関連絡協議会(全史料協)関東部会が共催する下記のシンポジウムで報告をするためです。
 4日の朝に飛行機で東京へ行き、開会前の打ち合わせで初めて知ったのですが、地方史研究協議会と全史料協がシンポジウムを共催するのは初の試みで、画期的なイベントとのことです。

 そんな画期的な場に呼ばれながら誠に申し訳なかったのですが、私の報告タイトルは「広域ネットワークによる地域資料の保存と地方史研究 -県境を越えた結びつきから-」でしたが、当日の報告内容はタイトルとかなりズレてしまいました。

 当初、「広域ネットワーク」を軸に報告をする予定でしたが、司会を担当する長谷川伸さん(新潟市歴史博物館学芸員)と電話・メールで打ち合わせをするたびに軌道修正をし、最終、近現代史料(崩し字で書かれた一次史料)の活用と歴史叙述に力点を置く構成になりました(といっても、報告中に「脱線」しすぎて時間切れになり、力点を置くべき部分はかなり省略しました)。重ね重ね申し訳ない。

 当日報告の内容は、年内に『地方史研究』に掲載の予定なので、そちらをお待ちください。



 さて、シンポジウムの中で驚きをもって学んだことがありました。それは、私の前に報告された保垣孝幸さん(北区立中央図書館地域資料専門員)が言及した『中小都市における公共図書館の運営』(略称:中小レポート、日本図書館協会、1963年)の存在を知ったことです。私が不勉強だったのですが、このレポートの内容は、本当に驚きでした。今後、当時の時代背景も含めて、しっかり勉強してみたいと思います。

 それともう一点。会場に静岡大学で2年先輩のAさんがお見えでした。聞けば、教職勤めを休職して、今春から駒澤大学大学院(博士課程)に在籍とのこと。学問への意欲に頭が下がりました。また、シンポ終了後の懇親会の席上、「(古文書の整理などについて報告した)松下君に古文書の読み方を教えたのは私です。」とスピーチをされ、往時を懐かしく思い出しました(宴席は大爆笑でした)。同窓の先輩とは、本当にありがたいものです。

(続く)


(主任学芸員 松下師一)