2009年8月6日木曜日

QAシリーズ3 放浪の連歌師・宗祇と月見ヶ丘海岸

現在の「月見ヶ丘海岸」
 
Q.前々号・前号の土御門上皇の生涯、たいへん興味深く読み、いい勉強になりました。
  
 せっかくなので、月見ヶ丘海岸で「足る事を 知れば茶で済む 月見かな」と詠んだ飯尾宗祇についても教えてくれませんか。松茂ゆかりの偉人に、たいへん興味があります。

(元教員・男性)
  

A.飯尾宗祇(1421年生~1502年没)は、連歌(短歌の前半と後半を別人が詠む文学)の名手として歴史に名を残していますが、その生い立ちははっきりしません。一般に紀伊国(現在の和歌山県)出身と言われていますが、近江国(現在の滋賀県)出身とする説も有力です。また、学会での評価は低いですが、阿波国飯尾村(現在の吉野川市)出身という説もあります。
  
 宗祇が世に知られるようになったのは、京都の相国寺(臨済宗、京都五山のひとつ)で修行をしていた青年時代からです。20歳代で連歌をはじめるとともに、古典文学や和歌を精力的に学び、その才能を開花させました。また、関東や越後(現在の新潟県)・山口など諸国を遍歴しては、連歌師としての感性を磨きました。文明8年(1476)には室町幕府九代将軍足利義尚の連歌の師となり、長享2年(1488)には連歌師の頂点である北野連歌会所奉行となりました。著書に『白河紀行』等、編書に『新撰菟玖波集』等があります。
  
 文亀2年(1502)、旅の途中の箱根(神奈川県)で亡くなり、駿河国(現在の静岡県)の定輪寺に葬られました。
  
 この宗祇が、いつ月見ヶ丘海岸にやって来たのかは、残念ながら定かではありません。ただ、その足跡を伝える句、…

足る事を 知れば茶で済む 月見かな

…が残るのみです。

(右上の写真)現在の「月見ヶ丘海岸」

※『広報まつしげ』N0.235(2009年7月号)掲載。