年末年始の休暇に入りました。館は12月28日(月)から1月4日(月)まで休館ですが、私は昨日の午前、館内改修に立ち会い、午後も次年度予算の査定に出席したので、実質、今日(29日)からが休みです。
とはいえ、『松茂町誌』続編第3巻の原稿整理が大量に貯まっているため、今日も昼間は館内研修室に閉じ籠もって作業をし、夜も自宅に持ち帰って第9章のレイアウトをとりまとめ中です。
この年末年始の休暇こそ、がんばりどころと考えていますが、う~ん、なかなか進まないなぁ。
(主任学芸員 松下師一)
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さて、ところがこの運動会、「いつ終わったのか?」が定かではありません。記録や資料が無いのです。読者の皆さん、「三村聯合運動会」の“最終回”について何かご存じのことはありませんか。ぜひ資料館まで情報をお寄せください。
※『広報まつしげ』No.238(2009年10月号)掲載。
(注2)『校誌』とは、学校の諸活動を記録する総合誌。徳島県の多くの高校では、年1冊編集・発行している。
第十堰の完成から40年たった寛政4年(1792年)の春、板野郡笹木野村(現在の松茂町笹木野)の庄屋・松尾源右衛門は、徳島藩の「御蔵所」(農地の生産を管理し、年貢を徴収する役所)に対して、旧吉野川・今切川の水を大幅に増やす大胆な計画「(旧)吉野川付け替え工事」を提起しました。今に遺る古文書(写真1)から、その内容を紹介しましょう。