2012年1月21日土曜日

南海地震の歴史について報告しました

  
 先週の日曜日(1月15日)、文化の森イベントホールで開催された徳島地方史研究会の公開研究大会で、「阿波北方における南海地震の歴史的検討」と題する報告を行いました。

 報告の要点は、次のとおりです。

  1. 宝永南海地震の際、松茂町域の一部干拓地が津波に襲われ、また沈降した。

  2. 安政南海地震では、松茂町域で広範囲に液状化現象が発生したが、他方で津波による大きな被害はなかった。多くの人々が阿讃の山々に避難したが、それだけだった。

  3. 昭和南海地震でも、松茂町域の一部で地盤沈下の被害が確認されたが、津波による被害はなかった。また、「大地震の後、津波が来るから避難せよ」という経験談も伝承されていなかった。

 報告の最後に、私は2つの点を強く訴えました。第1は、古文書・金石文などの歴史資料を詳しく調査し、過去の地震被害の実像を正確に理解すること。また、その努力を怠らないこと。第2は、安政・昭和の南海地震の際、北方で大きな津波被害が無かったことから、その後、「大きな津波は来ない」という「負の伝承」になっているのではないか。というものです。

 公開研究大会の様子は、翌日(1月16日)の読売新聞と毎日新聞の徳島版でも報道されました。

(主任学芸員 松下師一)