2011年12月31日土曜日

『町誌』続編第三巻の見どころ・読みどころ(11)

  
◇「正確性」に最善を尽くす!◇

 昨年(2010年・平成22年)末に比べたら、嘘のように心静かな年末である。昨年の今頃は、『松茂町誌』続編第三巻の編さん作業に追われて、一時も心が休まることが無かったように思う。

 私は学芸員という職業柄、学術論文を執筆したこともあるし、一般向けの読み物を執筆したこともある。しかしながら、B5判800ページ超の大部な本を編さんするというのは、およそ初めての経験であった。しかも、作業分担を進めていく中で、私は執筆者兼デスク(編集長)の大役を担うことになった。「よくもまぁ、そんな大変なことをとしたなぁ」と、今は懐かしく思われるが、当時は連日苦悩する日々が続いた。

 何より『町誌』編さんに苦悩する原因は、「正確性と公平性」への責任感に尽きる。執筆する文章も、レイアウトする図版も、ほとんど全てが執筆者個人の署名記事ではない。松茂町が責任を負うべき内容である。正確であることは当然のこととして、各執筆者の個人的な思い込みや、公平性に欠けるコメントには慎重であらねばならない。

 とりわけ「正確性」については最善を尽くしており、編さん期限ぎりぎりまで校正・校閲を行い、印刷製本後も可能な限り「正誤表」と「訂正シール」で対応した。それでもまだ、思いもかけない誤字・誤植があるかもしれない。

 「悩ましい…」、だがこれは編さん担当者としての良心の問題でもある。今月(12月)初め、2度目の正誤表・訂正シールを作成し、編さん室に記録が残る贈呈者・購入者に対して郵送したが、もはや時期的・コスト的に、こうした方法での正誤情報の提供はこれで最後になる。

 ただ幸い、21世紀はインターネット社会である。当ホームページは、『松茂町誌』の情報を補足する場として機能させ、可能な限り正誤情報の提供を続けていきたいと思う。

 そんなふうに、『町誌』の「正確性」について思いを巡らせていたら、だんだん胃が痛くなってきた。はたまた、今年の年末も、心が休まらないないのである。

(主任学芸員/町誌編さんデスク 松下師一)

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〔重要〕 『松茂町誌』続編第3巻をお持ちの方で、追加分の正誤表・訂正シール(平成23年12月発行)が届いていない方がありましたら、編さん室(歴史民俗資料館内/電話088-699-5995)までご連絡ください。至急、郵送させていただきます。

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『町誌』続編第三巻の見どころ・読みどころ(10)

  
◆『松茂町誌』ただ今、販売中!◆


 平成23年10月、松茂町立喜来小学校の6年生4名が、当館に職業体験学習にやって来ました。当館から依頼した業務は、『松茂町誌』続編第3巻の宣伝です。

 4名は2班に分かれて、宣伝チラシを作成してくれました。

 Hくん・Nくんの班(水色チラシ)では、片面に情報とキャッチコピーをまとめました。



 Tくん・Mくんの班(緑チラシ)は、両面印刷にしました。




 ちょっと値段勝負のセールスコピーが目立ちますが(苦笑)、がんばって作ってくれました。その後、喜来小学校で配布してくれましたから、ご覧になった方もおいでると思います。

 4名の児童には、「この仕事はビラが完成して終了ではありません。このビラを見て、実際に『町誌』を購入してくれた人がいて、はじめて仕事ができたことになります。」と話しました。

(チラシ制作:喜来小学校6年生4名)

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〔重要なお知らせ〕 『松茂町誌』続編第3巻をお持ちの方で、追加分の正誤表・訂正シール(平成23年12月発行)が届いていない方がありましたら、編さん室(歴史民俗資料館内/電話088-699-5995)までご連絡ください。至急、郵送させていただきます。

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『地方史研究』第354号(2011年12月発行)の記事


 もちろん私も報告要旨を取りまとめ、その小稿が掲載されたのですが、なにより会場参加者から3本の参加記(佐藤勝巳さん、髙野弘之さん、菅野将史さんの参加記)が寄せられています。

 今回、私の報告は、地方史研究者に対する多くの問題提起を含んでいたので、かなり激しい反論があるのでないかと考えていましたが、いずれの参加記ともに私の報告を建設的に受け止めてくれたようです。正直、「ほっとする」と同時に、とてもありがたく思いました。


(主任学芸員 松下師一)

2011年11月12日土曜日

全史料協大会(前橋市・高崎市)に参加しました【番外編】

  
 2日間の出張リポートに、少しおまけを付け加えます。

◇その1「空からみた…」

 往路、私は10月26日(水)午前中の飛行機に乗ったのですが、素晴らしい秋晴れで、窓から徳島~東京間の風景がよく見えました。富士山はじめ美しい風景も印象的でしたが、私の記憶に強く残ったのは、空から見た紀伊山地の風景でした。

 台風12号の記録的豪雨は、数え切れない山腹崩壊を引き起こし、そこを流れる河川は茶色い濁流となっていました。報道された土砂ダム(せき止め湖)も、空からはっきり確認できました。

 台風常襲地の私たち徳島県民にとって、これは他人事ではありません。実は15号台風では、拙宅が床下浸水しました。防災対策は、一人ひとりが自分自身の問題として受け止めるべき大きな課題です。

 被災された和歌山県・奈良県・三重県の関係各位に、心からのお見舞いを申し上げますとともに、私自身、念には念を入れた防災対策に取り組みたいと思います。

◇その2「一時の流行か、それとも…」

 今年、高崎市立図書館の研修会場で、某社のタブレット型パソコン(某社自身はパソコンとは呼んでいません)がとても目に付きました。

 研修中メモを取る様子(特に、純正のカバーを折りたたんで台にして使う姿)はとてもかっこいいですが、それで会場の写真を撮る様子は少しユーモラスです。なんだか、大学ノートを両手で持って、どこかへ念力を送っているみたいなポーズをしています。(かく言う私も、時々、NEC Life Touch Note を両手で持って撮影しているので、他人が見ればユーモラスだとは思います。)

 今後、この様子が大会の風景として定着するのか、それとも一時の流行で終わるのか、今後が楽しみですね。

(主任学芸員 松下師一)

 

「第26回国民文化祭・京都2011」に行ってきました(その3)

   
 5日(土)の夜中に、京都府北部・綾部市のホテルへ戻り、翌6日(日)は「ふれあい座」のスタッフとして、京丹波町の「魅せる・人形芝居フェスティバル」に参加です。



 残念ながら6日(日)も雨模様ですが、それでもお客様が続々と会場へ足を運んでいます。



 事前に「満席」の見込みとは聞いていましたが、本当にぎっしり満員で、開会式を終えて上演が始まる頃には「立ち見」が出るほどでした。



 「ふれあい座」の出演は、全11団体中7番目で、ちょうどお昼時でした。「食事に出る人が多くて、お客様が少ないかな?」と思いましたが、どうして、どうして。やはり満員です。



 じっくり1時間、「傾城阿波の鳴門」の「順礼歌の段」と「十郎兵衛住家の段」の両方を上演しました。



 太夫の三木早苗さん〔左〕の語りは、感情表現豊かでエネルギッシュです。三味線の吉岡寿子さんとの息もぴったりですね。



 「ふれあい座」出演メンバー全員集合! 私はカメラマンです。

 さあ、来年は「全国初!」、2度目の国文祭が徳島県で開催されます。“第22回国民文化祭・とくしま2007”の成果はもちろん、第23回茨城、第24回静岡、第25回岡山、第26回京都の成果もしっかりと継承して、“第27回国民文化祭・とくしま2012”を魅力あるものにしましょう。

(主任学芸員 松下師一)

    

「第26回国民文化祭・京都2011」に行ってきました(その2)

  
 和知駅からJR山陰線の電車で京都駅へ、そこから近鉄に乗り換えて京田辺市へ到着です。ちなみに山陰線は開業から100周年らしく、沿線の至る所にお祝いの懸垂幕や横断幕が掲げられていました。



 乗り換え時間も含めて約2時間、ようやく京田辺市に到着です。



 しかし、こちらも雨模様。現代人形劇は5日(土)~6日(日)の2日間開催だから、前半1日が雨とは何ともつらいですね。お客様の入りはどうだったのでしょうか。



 「引継式」の会場は、同志社大学・田辺キャンパス内のカフェテリアです。おっ! 立て看板に「すだちくん」が描かれています。「来年、もう1回、国文祭の人形劇を担当するんだなぁ。」と、得も言われぬ実感がわいてきました。



 会場に入ると、京都国文祭キャラクター「まゆまろ」がお出迎えです。そして、会場内には第22回国文祭(2007年)で松茂へ来てくださった懐かして顔がちらほらと見えます。



 「引継式」は堅苦しい式典では無く、食事を交えた歓迎交流会の中で行われました。最初は、京田辺市実行委員会の石井明三会長(京田辺市長)のあいさつです。



 続いて、引き継ぎのセレモニーです。石井会長さんから、松茂町長代理の私が「幟」と「マスコット」を受け継ぎました。



 返礼として、松茂町から持参した第22回国文祭記念の「藍染め幟」(すだちくんをモチーフに、松茂町民ボランティアの手作り品)を、京田辺市・石井会長さんに贈呈しました。



 式の最後は、私のあいさつです。山陰線の電車の中で、いろいろと考えてメモを作ってきましたが、全国の懐かしい人形劇関係者と再会して、メモはどこへやら、オールアドリブで来年への決意を述べてきました。



 全国の人形劇関係者の皆さん、国文祭・人形劇のバトンは受け継ぎましたから、ぜひ2012年11月には松茂町へお越し下さい。

(主任学芸員 松下師一)

→(その3)へ続く

 

2011年11月11日金曜日

「第26回国民文化祭・京都2011」に行ってきました(その1)

  
 11月5日(土)~6日(日)の2日間、「第26回国民文化祭・京都2011」へ行ってきました

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 徳島県の方はご承知と思いますが、4年前(2007年)に私たちの徳島県は「第22回国民文化祭」を開催し、私も松茂町の「まつしげ人形劇フェスティバル」を担当しました。ところが今年(2011年)2月、突然、地元新聞のトップニュースで、「全国初! 2度目の国文祭  第27回国民文化祭も徳島県が開催!」という報道がなされました。もう、びっくりです。

 4年前に「47年に1回のビッグイベント」をスローガンに、町民の皆様に協力をお願いした私としては、何とも複雑な気分ですが、再度、国民文化祭の実務を担当することになりました。全国の人形劇関係者の皆様、どうかよろしくお願いします。

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 それはそれとして、今年は京都府で開催される第26回国民文化祭です。当初は、第22回の成果継承を目的に、私たち松茂町の「阿波人形浄瑠璃芝居ふれあい座」が京丹波町で開催される「魅せる! 人形芝居府フェスティバル」に参加するだけの予定でしたが、急遽、第27回を開催することになったので、私が町長の代理で京田辺市で開催される現代人形劇部門の「引継式」にも出席することになりました。

 5日(土)の朝、私と「ふれあい座」の面々が、貸し切りバスで京都府へ向けて出発です。



 伝統人形劇の会場・京都府北部の京丹波町和知へは、お昼過ぎに到着しました。悪天候の中、会場の準備が進んでいます。




 昼食の後、さっそくリハーサルです。翌日の本番は「満席」が予想されるとのことで、地元の小学生たちがリハーサルの団体見学です。




 無事、リハーサルを終えた後、私は「ふれあい座」と行動を別にして、JR山陰線の和知駅へ向かいしました。ひとり電車に乗って、現代人形劇部門の「引継式」が開催される京都府南部の京田辺市へ移動です。

(主任学芸員 松下師一)

→(その2)へ続く

  

2011年11月8日火曜日

全史料協大会(前橋市・高崎市)に参加しました【6】

  
 午後からは、図書館からほど近いホール「高崎シティギャラリー」(下記の写真)に移動しました。記念コンサートと記念公演、総会が開催されます。



 昼食の弁当を食べながら原稿に取り組んでいた私は、ついつい執筆に夢中になり、ホールへの移動が遅れてしまいました。そ~っと、扉を開けて会場に入ると、もう記念コンサートは始まっていました(途中入室ごめんなさい)。



 そして、アンコール演奏も終わり、いよいよ私が楽しみにしていた記念公演の開始です。講師の入場とともに会場は大きな拍手に包まれ、知的ではありますが、どこかエネルギッシュな雰囲気が感じられました。

 講師は、会場のある高崎市を選挙区とする代議士で、元・内閣総理大臣の福田康夫氏です。福田元首相は、現用公文書はもちろん、学術的価値の認められる歴史的な公文書を保存する「公文書管理法」を推進し、議連会長として、また内閣総理大臣として、法律の成立に尽力された大功労者です。



 語り口は、小泉内閣の官報長官(スポークスマン)時代と同じで、真面目な話を淡々と話した後に、少しジョークを付け足します。



 ①アメリカの公文書館に感動したこと、②「公文書管理法」と「消費者庁」を福田政権~麻生政権で実現したこと、③耐震偽装問題と年金問題がそのきっかけであったこと、④今年、日中の近代史料を保存活用する活動に携わっていること、等々をお話されました。

 中でも②と③の話は印象深く、ベテラン政治家による「政治主導」の具体像を垣間見た気がしました。



 記念公演の後は「総会」です。しかし、私は翌・金曜日に予定があるため、程なく途中退席して松茂町へ帰らねばなりません。



 結局、「総会」の前半だけ出席して、やむなく会場を後にしました。



 高崎駅から乗車した帰りの新幹線も、2階建てタイプの「MAXとき」でした。行きは1階の自由席に乗ってしまい、窓からの眺めが防音壁に遮られたので、帰りは思い切って2階の指定席にしました。窓から関東平野の夕焼けを眺めることもできたし、東京に近づく頃にはビル街の夜景も見られたし、なかなか良かったです。



 施設見学、研修会、記念公演、ポスターセッション、専門用品デモなど、やはり全国大会へ行くと知的刺激が溢れています。この2日間、前橋市・高崎市で得た知識を、これからの業務にしっかりと活かしていきます。

(主任学芸員 松下師一)

全史料協大会(前橋市・高崎市)に参加しました【5】


 午前10時から、コース別に分かれて前後半2部制の研修会が始まりました。11時10分までの研修会前半では、Bコース「災害レスキューから見えたこと」(講師:国文学研究資料館准教授・西村慎太郎 氏)を受講しました。



 西村氏(下の写真)は、人間文化研究機構連携研究「大規模災害における資料保存の総合的研究」の代表者を務め、震災から50日余り経過した4月26日から、岩手県釜石市での行政文書レスキューを主導されました。



 現地の市役所職員が避難所対応に専念する中、外部からの応援部隊で資料保存に取り組んだこと。応援部隊から資料を引き継ぐ際に、市役所OBが重要な役割を果たしたこと。といった点が印象深かったです。

 なお、下の写真は、釜石市に隣接する大槌町立図書館の様子です。津波による破壊のすごさがわかります。



 11時20分から始まった後半の研修は、Dコース「歴史的公文書等の調査と整理」(講師:筑波大学准教授・白井哲哉 氏)を受講しました。Dコースは初心者向け入門編の位置づけでしたが、かねて懇意の白井さんの講義なので、初心に帰って真剣にメモをとりました。



 ただ、聞いているうちに、近代の史料に対する考え方(アプローチの仕方)が違うような気がしてきました。時間の都合上、この場では尋ねることができなかったので、また機会があれば白井さんに聞いてみたいと思います。

 さて、研修会場の外では、恒例の書籍展示、グッズ(資料保存専門用品)展示が行われていました。日常業務に役立つ便利情報や、仕事のアイデアが入手できる貴重な機会です。



 昨年に引き続き、ポスターセッションも開催です。



 そして、東日本大震災の史料救済レスキューに携わった各施設が、活動の様子を記録した写真を展示していました。



 午前中の研修会が終わった後は、大会事務局にご用意いただいたお弁当の時間です。久しぶりに会った東大のT氏と、徳島県の地域史の話をしながら(T氏は徳島県立城東高校卒業)、群馬県名産の「鳥めし弁当」をおいしくいただきました。(つづく)

(主任学芸員 松下師一)

  

全史料協大会(前橋市・高崎市)に参加しました【4】

  
 出張2日目(10月27日〔木〕)の朝、高崎の街は素晴らしい秋晴れでした。

 高崎駅前通りを進むと、正面に高層ビルが見えます。県庁所在地の前橋市の高層ビルは「群馬県庁舎」でしたが、交通の要衝・高崎市の高層ビルは「高崎市役所」でした。



 市役所前を通り過ぎて5分ほど歩くと、全史料協大会会場の「高崎市立図書館」の建物がありました。保健・医療関係諸施設との複合施設で、5階・6階他が図書館です。



 建物内に入ると、とても目を引くガラス張りの構造物がありました。スケルトンデザインのエレベーターです。



 エレベーターのさらに上を見上げると、ガラス張りの天窓に、光透過式の太陽光発電パネルが取り付けてありました。すごく斬新な建物ですね。



 それにも増して驚いたのは、1階エントランスからガラス越しに見える閉架書庫のようすです。



 書籍の出し入れや配架が、コンピューターによって制御された巨大な自動化書庫です。奈良県立図書情報館などに導入されていると、噂には聞いていましたが、初めて実物を見ました。驚くとともに、感動しました。



 5階・6階の図書館(開架)も見学してきました。自動貸出機や自動予約機など、最新のシステムが導入されていました。



 開架フロアーも広いです。上層階の図書館にありがちな窮屈さは、ここにはありませんでした。



 いやはや、あまりに設備・機器が充実していて、徳島県内の図書館には真似ができないように思われました。

 それでは、図書館から3階の会議室へ移動して、全史料協大会研修を受講したいと思います。(つづく)

(主任学芸員 松下師一)

2011年11月5日土曜日

全史料協大会(前橋市・高崎市)に参加しました【3】

  
 群馬県立文書館の施設見学は、「裏導線」から「表導線」へ移動しました。

 と言っても、同館本館の収蔵庫の扉は、そのまま閲覧室前の廊下と繋がっています。次長さん曰く、「元々、県史編纂室だったので、構造上、表と裏の導線の区分が曖昧」とのことです。



 そのため、収蔵庫の扉前に、一般の足ふきマットに加えて、粘着性の足ふきマットが置かれています。

 靴裏についた外部からの汚れを、収蔵庫に持ち込まない取り組みです。



 元、県史編纂室だった「閲覧室」は、とても広々としています。



 書架には、全国の都道府県史が集められ、配架されています。



 しかし、‥‥。悲しいかな『徳島県史』は、下の写真のような状況です。

 『徳島県史』は、通史編・資料編・普及版をあわせても全11冊しかなく、しかも昭和40年前後に刊行された古いもので、今どき全冊揃えるのは困難の極みです。むしろ群馬県が3冊集めていたことを、誉めるべきでしょう。



 閲覧室前の廊下には、震災被災史料のレスキューの記録が展示されていました。群馬県立文書館の誠実な取り組みに、頭が下がります。



 以上、全史料協全国大会オプション「群馬県立文書館視察」の記録でした。(つづく)

(主任学芸員 松下師一)