2013年3月11日月曜日

追悼 故・寺戸恒夫先生

 
  一昨日(3月9日)、ふと「徳島新聞」を見ると、寺戸恒夫先生が亡くなったという記事を目にした。

  寺戸先生は、公式には何ら記録が残っていないが、当館設立にあたり常設展示室の基本コンセプトを提案された方である。

  何分、私の就職する以前の事で定かではない部分はあるが、展示設計業者をアドバイスされたらしい。

  寺戸先生は、自然地理がご専門であった。だから当館常設展示室は通史展示(古い時代から順に配列していく展示方法)になっておらず、テーマ(話題)ごとに配列され、随所に地図が多用されている。展示室を入ると「航空写真」と「地層の模型」があり、旧吉野川河口を新田開発した「耕地拡大の経緯」の紹介がある。次いで「自然災害と暮らし」、「災害に立ち向かう民衆生活」、「交通網の発達」、「農業・漁業の発達」と続く。いかにも自然地理の先生がアドバイスした「らしさ」が、展示構成に反映されている。


常設展示室の入口部分

  実は、私と寺戸先生とには、ほとんど接点が無かった。当館が開館した20年ほど昔、私は徳島地方史研究会の新入生で、寺戸先生は徳島地理学会の会長であった。歴史と地理、隣接した研究領域だが両研究会(学会)の間に接点はあまり無く、しかも年齢・立場が大きく違った。

  唯一の思い出は、1995年(平成7年)1月17日の出来事である。

  その日の早朝、「阪神・淡路大震災」が発生した。徳島も相当揺れたが、神戸・阪神間や淡路島の惨劇はご承知のとおりである。幸い当館は大事に至らなかったが、それでも展示品の転倒や施設の小破などがあった。

  その日の午後、従前から計画されていた徳島県市町村文化財保護審議会連絡協議会の「指導者研修会」が、徳島県教育研修センターで予定どおり開催された。私も、午前中に館内の保全作業を終えて、午後から松茂町の文化財保護審議会委員とともに参加した。その会の講師こそ、当時、徳島文理大学教授の寺戸恒夫先生であった。寺戸先生は「歴史的大地震の日に、自分が講演をするとは思ってもみなかった」とおっしゃいながらも、六甲山系の断層と直下型地震について、とても詳細な解説をされた。とても印象深い思い出である。

  当館は今秋10月7日に、開館から満20周年を迎える。常設展示室についても、少し展示替えを検討しているが、寺戸先生ゆかりのコンセプトを継承しながら、より魅力的なものに進化させたいと思う。

  寺戸先生のご冥福をお祈りしますとともに、あらためて当館常設展示室の学問的な向上・発展をお誓い申し上げます。

(主任学芸員 松下師一)
  

2013年3月9日土曜日

ここ数日の悩み?

    
  先週から、未整理文書群の整理に着手しました。整理途中の文書群を含め、目録化できていない文書群は複数あるのですが、松茂史談会メンバーのボランティア協力を得ながら、徐々に成果を出していきたいと思います。

  かくも意欲的なのに、現実は厳しいです。下記の古文書のキーワードが読めないのです。というか、文字としては読めるのですが、意味がわからないのです。



  意味がわからないのは、真ん中の行の上部です。「市皮へぎ居申」と書いてありますが、「市皮」とは何でしょうか?



  「市皮」の部分は、最初「市波」かと思ったのですが、この文書の他の部分に出てくる「彼」の字と比較分析すると、「皮」で間違いないようです。

  「へぎ」は阿波の方言で「剥ぎ」なので、「市」の皮を剥ぐという意味なのでしょうか。だとすれば、その「市」が何かわかりません。試しにグーグルで「市皮」を検索してみると、革靴の部材がヒットしましたが、江戸時代の松茂に革靴なんかあるわけありません。

  古文書を読み進めると、「市皮」で「しぶき」とも記されています。「しぶき」も方言で「しばく」の類だと思われるので、素早く叩くことができるものです。

  現状の推理としては、2つあります。

【その1】イチノキの樹皮か?
  「市」の発音は「イチ」だから、「イチ」という植物の皮だろうと考えて、「イチノキ」の樹皮だろうと推定するものです。「イチノキ」は「櫟の木」で、「イチイガシ」の別名です。この木は、建築や建具の材料によく使われるので、きっと江戸時代の松茂でも樹皮のついた丸太を持ち込んで、樹皮剥ぎや製材をしたのではないかと想像するのです。

【その2】イチビの皮か?
  「市皮」を「イチ・ヒ」と考えて、「イチビ」という植物(背丈1メートルほどの一年草)と推定するものです。イチビは外来種ですが、繊維をとる植物として中世以前から国内で栽培されていたそうです。繊維を剥ぎ、「しぶき」(叩き)したという使用法から考えて、可能性の高い推理です。でも、江戸時代の松茂に、この外来種は栽培されていたのでしょうか。はなはだ疑問です

  ちなみに、専門的な加工技術が必要な動物由来の皮とは考えにくいですね。

  現時点では、いずれの推理ともに、まったく自信がありません。ほんと「市皮」とは何でしょうか。もしかして、文字そのものの読み違えでしょうか。思い当たる方は、ぜひ教えてくださいね。

(主任学芸員 松下師一)
  

2013年3月6日水曜日

2月の社会科見学(喜来・松茂・長原小学校3年生)


  毎年1月~2月は、社会科見学のシーズンです。今年も、町内3小学校の3年生が、「昔のくらし」をテーマに松茂町歴史民俗資料館へ見学にやって来ました。今年最初の見学は喜来小学校(2月6日)、次は松茂小学校(2月7日・8日)でした。月末には、長原小学校の見学もあります(2月28日)。


  見学に来ると、最初はガイダンスです。学芸員と解説ボランティア(元・館長)が自己紹介して、「資料館という施設の意味」や「民具のみどころ」等々をレクチャーします。


  できるだけ、子どもたちに身近な民具を話題にします。「冬の暖房器具」の変遷は、時節柄、実感のわくテーマです。


  次は、見学者を小班に分けて、常設展示室と民具の収蔵庫へ案内します。
  常設展示室では、民具の観察とスケッチに取り組んでもらいます。



  疑問があれば、元・館長の解説ボランティアがわかりやすく解説します。



  元・館長の笹田博之先生は御年80歳で、体験に基づいた解説が好評です。



  私は収蔵庫の担当でした。庫内は狭いので、10名ほどの小班になって見学してもらいます。



  「備中鍬の話」「電気を使わない冷蔵庫の話」「懐中電灯以前の灯り」「五右衛門風呂」など、簡単な民具の話題を解説します。



  松茂町内の小学3年生の皆さん、学校の外へ出掛けての社会科見学、楽しかったですか。よく勉強できましたか。

  うれしいことに、見学の後、見学した児童からお礼状が届いたりもします。下の写真は、長原小学校の3年生から届いたお礼状です。


(主任学芸員 松下師一)

2013年3月4日月曜日

徳島地方史研究会の公開研究大会で報告

  
 3月3日(日)の午後、徳島県立21世紀館の多目的活動室で、徳島地方史研究会の第35回公開研究大会が開催されました。大会テーマは「土地に刻まれた阿波の歴史」で、私は『松茂町誌 続編第3巻』を編さんする際に行ったインタビュー取材をもとに、松茂町の戦後農業史を報告しました。



 熱心な郷土史ファンや農業関係者など、約70名の方がご来場くださいました。



 最初の登壇は、徳島大学の平井松午先生(歴史地理学)で、「吉野川の洪水遺産 ― 舞中島 ―」を報告されました。さすが地理の先生だけに、プロジェクターから次々と地図や景観写真が投影されます。



 2人目は、徳島県立文書館の徳野隆氏で、報告テーマは「新田開発・地震・再開発 ― 和田津新田の場合 ―」です。県立文書館の企画展示「和田津新田の成り立ち 栗本家文書より」の成果が、古絵図等の解説を通じて、わかりやすく紹介されました。



 そして3人目が私の番ですが、報告の様子の写真がありません(撮影を頼むのを忘れていました)。トホホ…。

 兎にも角にも、「災害史にみる民衆生活の変貌 ― 災害後の産業構造の推移 ―」と題して、昭和南海地震と第二室戸台風から復興した松茂町の農業について報告しました。ちょっと時間をオーバーしてご迷惑をおかけしましたが、戦後、松茂農業の大きなパラダイム転換はわかっていただけたと思います。

(主任学芸員 松下師一)