2011年1月30日日曜日

「鴻池新田」の名残を訪ねて

 
 昨日(1月29日)、東大阪市にある博物館「鴻池新田会所」から、同館の学芸員さんが訪ねてきました。訪問の目的は、松茂町住吉の歴史に関する資料と現地の調査です。

 松茂町住吉は、戦前まで「住吉新田」と呼ばれ、さらに古く江戸時代中頃には「笹木野新田」、または「鴻池新田」と呼ばれていました。今回の訪問の目的は、同じ名称である「鴻池新田」としての関連性を調査するためのものです。

 東大阪市の「鴻池新田」は、かの有名な江戸時代の豪商・鴻池善右衛門家(近代以降も金融・保険を手がける大資産家)の新田です。他方、松茂町の「鴻池新田」(住吉新田)は、大阪出身の「鴻池清助」という人物が手がけた新田とされています。しかし、この「鴻池清助」、大阪出身の資産家とのことですが、くわしい経歴がさっぱりわかりません。

 そこで現地調査と言うことになりましたが、戦前の旧海軍航空基地の建設にともない、住吉には往時(江戸時代)を物語る建造物はもちろん、道・水路・堤防といった風景すら残っていません。唯一残るのは、住吉神社の境内に移築された「天明七年」「鴻池新田」の銘がある小さな常夜灯だけです。

 遠路、東大阪からお越しのお客様を案内して現地(住吉神社)を訪ねましたが、結局、謎は謎のままに残った現地調査でした。

(主任学芸員 松下師一)

2011年1月20日木曜日

2010年度阿波学会(旧・一宇村)原稿提出

 
 やれやれ、8月の阿波学会調査(旧・一宇村/現・つるぎ町一宇地区)の「報告書」原稿を、なんとか締め切り当日(1月20日)朝に提出しました。相変わらず時間ギリギリです。

(写真1)分析した元禄11年検地帳の1冊

 私が担当したのは、つるぎ町役場一宇支所(旧村役場)の書庫から発見された検地帳群の研究リポートです。まとまって残っていた「元禄十一年戊寅年八月二日」の年記がある29冊の検地帳(写真1)を分析にして、17世紀末の旧・一宇村域の農地利用を考察してみました。

 私が注目したのは、検地帳に記された「矩揃」(かねぞろえ)です。

(写真2)検地帳に記された「矩揃」の例

 「矩」(かね)とは、近世徳島藩の用語で「田畑の等級」を意味しており、「矩揃」とは検地帳に掲載された全筆の面積を「等級ごとに取りまとめる」ことを意味しています。通常、検地帳の末尾には「矩揃」が掲載されており(写真2)、田畑の等級ごとの面積を容易に知ることができます。これを分析してみました。

 分析の結果は、半年後の7月に刊行予定の「阿波学会報告書」に掲載されます。お楽しみに。

(主任学芸員 松下師一)

2011年1月16日日曜日

論集『生業から見る地域社会』の紹介

 
 すでに何度も「学芸員の研究」に記していますが、徳島地方史研究会の創立40周年記念論集『生業から見る地域社会 - たくましき人々 -』(教育出版センター〔徳島〕刊)が刊行され、私(松下学芸員)の論文(いや、研究ノートかな?)も掲載されました。全9編の論文の内のひとつです。

 下記に全9編の執筆者と掲載論文名を紹介します(掲載順)。

  • 中村 豊(徳島大学)「吉野川流域における農耕文化の成立と展開 - 畑作文化の形成 -」

  • 石尾和仁(徳島県立鳥居龍蔵記念博物館)「山村の生業と山口祭 - 資源維持慣行としての「祈り」-」

  • 日野善雄(吉野川市西麻植教育集会所)「近世後期の鮎喰川流域の「所請」制度について」

  • 羽山久男(元・日和佐高校)「幕末期の阿波国美馬郡半田口山と三好郡加茂組六ヶ村・祖谷山落合名との山論について」

  • 小橋 靖(鳴門市教育委員会)「塩田面積や塩生産高等からみた徳島県の塩業 - 塩田の発祥から廃止まで -」

  • 森本幾子(広島大学)「明治前期の徳島船場肥料問屋と北前船 -「日記」「書翰」にみる山西家徳島支店の肥料取引 -」

  • 松本 博(『由岐町史』監修者)「漁村における共同と連帯 - 東・西由岐浦史料にみる -」

  • 佐藤正志(摂南大学)「一九三〇年代における農家副業の展開と農村女性の組織化 - 那賀郡の藁工品生産と「愛農婦人会」を中心に -」

  • 松下師一(当館)「人形浄瑠璃芝居一座の経営 - 上村源之丞座の近代史へのアプローチ -」

 以上です。

 「ぜひ読んでみたい」「購入したい」という方は、お近くの書店で、書名・出版社名と ISBN番号978-4-905702-57-3 を告げて注文してください。定価2,800円(税別)です。

(主任学芸員 松下師一)

2011年1月11日火曜日

徳島地方史研究会創立40周年記念祝賀会

 
 先日(1月9日)、徳島地方史研究会の創立40周年記念と、同記念論集の刊行祝賀会が、徳島市内のホテルで開催されました。

 会は石尾和仁代表の主催者あいさつで始まりました(下の写真)

代表・石尾さんの挨拶

 代表に引き続き、私(当館 松下学芸員)が記念論集の編さん担当者として、論集のねらいや経緯について話をしました。話の主な内容については、同論集の巻末に掲載しています。ご一読いただければ幸いです。

 続いて祝辞として、隣県の香川県から木原先生(香川県歴史学会 顧問)に、四国の地域史の歩みについてお話しいただきました(下の写真)

来賓・木原先生の挨拶

 そして、本会元副代表・福家清司さん(徳島県教育長)の発声による乾杯の後、開宴となりました。研究のこと、調査のこと、論文のこと、等々、楽しく真面目に宴は進みます。

 テーブルスピーチでは、出版社の社長さん、阿波学会の小林会長さん、県文化財保護審議会の丸山先生、徳島新聞社の文化部長さんから、本会への期待の声がよせられました。

 そして、まだまだ話は尽きないのですが、最後は本会前代表・立石恵嗣さんがお礼のあいさつをして(下の写真)、目出度くお披楽喜になりました。

前代表・立石さんお礼の挨拶

 無事、記念論集も刊行され、また祝賀会も終わり、担当者としてほっと胸をなで下ろしています。

(主任学芸員 松下師一)