昨日(1月29日)、東大阪市にある博物館「鴻池新田会所」から、同館の学芸員さんが訪ねてきました。訪問の目的は、松茂町住吉の歴史に関する資料と現地の調査です。
松茂町住吉は、戦前まで「住吉新田」と呼ばれ、さらに古く江戸時代中頃には「笹木野新田」、または「鴻池新田」と呼ばれていました。今回の訪問の目的は、同じ名称である「鴻池新田」としての関連性を調査するためのものです。
東大阪市の「鴻池新田」は、かの有名な江戸時代の豪商・鴻池善右衛門家(近代以降も金融・保険を手がける大資産家)の新田です。他方、松茂町の「鴻池新田」(住吉新田)は、大阪出身の「鴻池清助」という人物が手がけた新田とされています。しかし、この「鴻池清助」、大阪出身の資産家とのことですが、くわしい経歴がさっぱりわかりません。
そこで現地調査と言うことになりましたが、戦前の旧海軍航空基地の建設にともない、住吉には往時(江戸時代)を物語る建造物はもちろん、道・水路・堤防といった風景すら残っていません。唯一残るのは、住吉神社の境内に移築された「天明七年」「鴻池新田」の銘がある小さな常夜灯だけです。
遠路、東大阪からお越しのお客様を案内して現地(住吉神社)を訪ねましたが、結局、謎は謎のままに残った現地調査でした。
(主任学芸員 松下師一)