2010年12月31日金曜日

古文書合宿の思い出(阿波学会/つるぎ町一宇編)

 
 今日は2010年の大晦日です。今年も学芸業務やら、『町誌』の編さんやら、地域史の研究やら、諸学会・諸研究のお手伝いやら、本当にいろいろありました。そんな1年間のうち、うっかり掲載し忘れた平成22年度阿波学会総合学術調査の古文書合宿(地方史研究班・徳島地方史研究会主催)について、ここでちょっと紹介しておきたいと思います。

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 夏の古文書合宿は、2010年8月2日(月)・3日(火)の両日、美馬郡つるぎ町一宇地域(旧・一宇村)で開催されました。旧・一宇村の役場(現在の役場支所)は、一宇地区の中心地の赤松という集落にあります。急峻な剣山系の山肌にへばりつくように集落は広がっています。

つるぎ町一宇赤松の集落

 合宿の合間に、一番奥の集落・桑平地区まで行ってみました。8月の猛暑とはいえ、高山の気候は少し涼しく感じました。



 旧・一宇村といえば、数多くの巨樹・巨木と、「土釜」「鳴滝」といった美しい滝の数々です。写真は「土釜」直下の清流の流れです。



 さて、本論へ戻りましょう。今回、古文書調査の対象としたのは、支所(旧役場)の書庫です。写真のように支所屋上に増築された建物で、一見すると簡素な造りのように見えますが、内部は5室に分かれており、なかなか立派な施設です。



 事前にお伺いした話によれば、江戸時代の古文書はおろか、明治時代の記録も無いということでしたが、実際、書庫内に入ってみると、長年の経験から“第六感”が働きます。



 「やっぱりあるじゃないの。」と、私、少々重量オーバー気味ですが書架の最上部へよじ登ります。



 明治時代の精緻な地積図(分間図)が発見されました。大きすぎて大会議室の床に広げないと全体が見渡せません。



 同行の板東紀彦さん(徳島県立文書館主任専門員)が、同じく書庫内から江戸時代の「検地帳」と「棟附帳」を発見しました。旧・一宇地域の近世史解明の基礎となる、とても重要な古文書の数々です。



 板東さんと町田さん(鳴門教育大学准教授)が保存状態を確認する横で、私と助手は撮影の準備です。



 今回参加の助手君は、年少ながら古文書の扱いも適切で、なかなかの活躍ぶりでした。「検地帳」が納められていた木箱を丁寧に清掃し、調査記録や撮影が出来るように下準備をします。



 2日目に調査した明治・大正時代の記録でも、綴じの痛みや落丁の有無を確認しながら清掃を進めます。よくがんばりました。



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 こうして調査した成果は、1月中旬までに原稿にとりまとめて事務局(徳島県立図書館)へ提出します。来年7月には、『報告書』として刊行・公開される予定です。

 ちなみに私は、この合宿で発見・調査した江戸時代の「検地帳」をテーマに、ただいま年越しで原稿(短編)を執筆中です。

(主任学芸員 松下師一)

2010年12月29日水曜日

2010年度 阿波学会総合学術調査発表会

 
 今月初めの日曜日(12月5日)、美馬郡つるぎ町の一宇公民館で、2010年度の阿波学会総合学術調査の「発表会」がありました。

 参加したのは、私と立石恵嗣さん(元・徳島県立文書館長)、町田哲さん(鳴門教育大学准教授)の3人です。



 しかしながら今回、私は報告を担当しませんでした。運転と写真記録の係です。

 正直、大きな宿題を2本抱えていたので、とても報告をまとめることができず、2人のサポートに回りました。



 まず、立石さんから調査の概要報告が行われました。8月につるぎ町一宇地区で実施した1泊2日の古文書合宿について、その様子と成果がパワーポイントを活用してわかりやすく報告されました。

 つづいて町田さんから、徳島県立文書館所蔵の武田家文書(つるぎ町東端山)と、古文書合宿で調査した「棟附帳」を比較検討した“特論”が報告されました。

 この後、会場の方々との若干の質疑応答もあり、よい発表になったと思います。

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 さて、年明けには報告書原稿が締め切られます。今回は2人に任せてしまったので、なんとか報告書誌面には、私なりの調査成果をまとめて発表したいと思います。がんばらねば。

(主任学芸員 松下師一)

2010年12月28日火曜日

大きな“ToDoリスト”

 
 このホームページでも常々記しておりますが、私、慢性的に「締め切り」に追われています。

 ちょっとでも油断をすると、公私ともに支障を来すことから、ついに私の周囲の人々(『松茂町誌』編さん室スタッフ)によって、大きな“ToDoリスト”がつくられました。

 私が仕事中に、左前方の壁を眺めると、ずらりと並んだ“ToDoリスト”があります。

私の職場の机から、左前方の壁を眺める
 
 もちろんリスト(A4判ボード)には、私が執筆(リライト)するべき項目がポストイットに記され、たくさん貼られています。


 
 う~ん、・・・・・。一つ一つ着実に減らさないといけないなあ。

(主任学芸員 松下師一)

2010年12月24日金曜日

コウセイ恐るべし(後)

 
 「コウセイ恐るべし」とは、本来、孔子様がおっしゃったという「後生畏るべし」が正しい表現です。

 「後生」とは「先生」の反対なので、同門の若者・後輩たちという意味ですね。つまりは「若者を軽んじてはならない。多くの秘めたる可能性(優れた点)がある。」という、慢心したベテランたちへの戒めの格言です。

 でも、当館の初代館長は、「校正恐るべし」と言っていました。原稿(印刷)校正は、見直しても、見直しても、何らかの問題点が発見されるものです。そして、仕上がったときに、やっぱり「あっ!」というミスに気がつきます。ほんと「校正恐るべし」です。

 いずれにせよ「コウセイ恐るべし」は、慢心したベテラン(たぶん私もそうなりつつある)への戒めとして、座右の銘に加えたいと思います。

(主任学芸員 松下師一)

 

コウセイ恐るべし(前)

 
 一昨日(22日)の『徳島新聞』の夕刊を見て“びっくり”、そして“がっかり”です。

 先日、ようやく校了して印刷に回った『徳島地方史研究会創立40周年記念論集』の誤記に気づいたのです。「あ~、やっちまった~」という、なんとも情けないやら、悔しいやらの思いです。

 というのは、今、『徳島新聞』の夕刊に、徳島県立文書館の企画展示「歴史写真でよみがえる徳島の姿」を紹介する記事が連載されています。ちょうど22日に掲載された記事が、『論集』の表紙カバーに使用した写真に関する内容だったのです。私が明治末期と思い込んでいた写真が、昭和6年のものであると明記されていました。

 すでにカバーの端に「明治時代」と印刷されているのに、それは誤りで、正しくは「昭和6年」とすべきだったのです。はぁ~、情けない。ちょっとした確認を怠り、駄目押しで手を抜いたが為に、1000冊も訂正シールを貼らなければなりません。まさに「校正恐るべし」です。とほほ・・・。

(主任学芸員 松下師一)

 

2010年12月20日月曜日

いまどきの「無形民俗文化財」

 
 一昨日(18日)の夜、徳島市立体育館の前を車で走ると、とても美しいLEDの「光のオブジェ」が飾られていました(徳島市体育振興公社の「夢ナリエ・城内 メモリアル2010」)。徳島県内に本社を置くN社が「青色発光ダイオード」の量産化に成功して以来、LEDはわが徳島県の地場産品の感があります。

 で、下記の2枚の写真をご覧ください。いずれも松茂町指定無形民俗文化財「二上り音頭と回り踊り」の様子を写した写真です。



 上の写真は、5年ほど前の様子です。



 そして、この写真は昨年(2009年)の様子です。お気づきですか。

 そうなんです。なんと櫓の装飾にLEDが導入されたのです。

 下記の写真は今年(2010年)の様子ですが、やっぱりあります“万国旗 with LED”!



 いまどきの「無形民俗文化財」は、ちょっとずつ装飾を変化させていると云うところでしょうか。

 ただ、文化財指定の本旨である「二上り音頭」と「回り踊り」の技芸は、変わらずに(変えずに)伝承していただきたいとお願いします。

(主任学芸員 松下師一)




 

2010年12月15日水曜日

大きな「宿題」が2つ終了

 
 子どもの頃、とりわけ8月の下旬、みなさんは宿題に悩まされませんでしたか。

 私はいつも宿題に苦戦していました。

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 そんな子どもの頃の思い出と関係があるのか無いのか、私はここ数か月、アフターファイブの「宿題」に悩まされていました。とっても大きな2つの「宿題」です。

 「宿題その1」は、徳島地方史研究会の『創立40周年記念論集』の編纂です。「生業」をテーマに、研究同人9人の渾身の作をとりまとめました。

 私も、明治~昭和初期の人形浄瑠璃一座(上村源之丞座)の経営をテーマに、39ページの論考を執筆しました。基本的に史料紹介(古文書の翻刻)がベースですが、必ずしも専門的な内容ばかりではなく、一般の方も読みやすい文面に仕上がっています。自分の著作の執筆・校正と、論集全体の編集・校正を並行して進めたため、時間的に猛烈にタイトなスケジュールになってしまいました。いやはや、くたくたです。

 そんな『論集』の編纂作業が、一昨日(13日の休館日)、無事に終了しました。最後は出版社に朝から「かんづめ」になって、T博物館のSさんと2人で手分けして、9論文・360ページの全体を確認しました。「はぁ~、よかった」と、安心感と充実感の刻(とき)でした。

 「宿題その2」は、南あわじ市の引田家文書の目録作成です。引田家とは、淡路人形浄瑠璃芝居の元祖「上村源之丞座」を経営していた家で、その古文書類は近世~近代の地域史を語る上で第一級のものばかりです。この夏から、380点に及ぶ古文書目録の点検・確認作業に着手しておりました。

 地元・淡路地方史関係者の期待も大きく、先の『論集』に掲載した拙稿執筆と連携させながら進めてきましたが、これもスケジュール的に厳しく、今夜、やっと完成しました(今、最後の確認作業を終えて、淡路島から帰宅したところです)。

 ほんとうれしいです。が、・・・・・。

 ありゃ、「宿題」はこれで終わりじゃないんだ。もう次が待ち構えているぞ!

 すぐに次の「宿題」に取りかからなきゃ。

(主任学芸員 松下師一)

2010年12月7日火曜日

今、論文集を編纂中!

 
 日々の仕事でも『松茂町誌』を執筆・編纂中ですが、アフター5でも『論文集』を編纂中です。

 「むむっ、単著を編纂中か?」と思われた方、それはちょっと違います。徳島地方史研究会の『40周年記念論文集』です。拙稿を含む9本の論考が掲載されます。私はそれの編纂担当なのです。

 新年早々に出版披露会を予定しているので、今、編さん作業は大詰めです。今夜は石尾和仁代表と徳島市内の喫茶店で合流し、カバー・表紙・扉のデザインを相談し、決めてきました。過去の論文集の伝統(紺色)を継承しつつ、今回の論文集の特徴がよく出たデザインになっています。いい感じです。論文集が完成したら、ぜひ皆さんにご紹介したいと思います。

(主任学芸員 松下師一)