Q.私は北島町に住んでおり、今年、満84歳になります。
毎年秋になると、子どものころに参加した「三村聯合(れんごう)運動会」のことを思い出します。確か、川内の競馬場で、北島・松茂・川内の小学生が一堂に会し、一緒に競技したと記憶しています。
しかしながら、『北島町史』を読んでも、この運動会の記事が載っていません。昔の旧友に尋ねても、運動会があったことは覚えていますが、くわしいことはわかりません。
何か松茂町歴史民俗資料館でわかることはありませんか。ぜひ教えてください。
(北島町在住・84歳男性)
A.ご質問の「三村聯合運動会」は、戦前、松茂村(現在の松茂町)・北島村(北島町)・川内村(徳島市川内町)が、文字どおり「聯合」(連合)して開催していた運動会です。
『松茂町誌』中巻によると、「三村小学校が連合して毎年運動会が行われた。」(431ページ)とありますが、後述する資料を読むと、単なる小学校の行事ではなく、村役場・村(地域社会)を挙げての大イベントであったようです。
当時の資料はあまり残っていませんが、
三木ガーデン歴史資料館(北島町中村)所蔵の賀川家文書
(写真)によると、第1回運動会は明治33年(1900年)11月に川内で開催され、第2回は翌34年10月に北島で、第3回は35年11月に松茂で開催されています。会場は、「川内の競馬場」に固定されていたわけではなく、年ごとに持ち回りであったようです。
また、第1回の運動会長は川内出身の衆議院議員・橋本久太郎、第2回は北島の実業家・篠原喜太郎、第3回は松茂の実業家・三木與吉郎で、三村の村長は幹事(事務責任者)という役回りでした。おそらく3村で実行委員会のような組織を作り、輪番で村の名士を会長に据え、村長(村役場)が実務を担当して開催したのでしょう。
この『広報まつしげ』の前身である戦前の『松茂村報』を読み直すと、大正15年(1926年)9月号に、松茂で「三村聯合運動会」の協議を行い、三村長と全校長が出席している記事があります。また、昭和3年(1928年)12月号には、北島で開催された「三村聯合運動会」に県庁から来賓を迎えた記事があります。明治33年に始まったこの運動会は、大正から昭和へと、間違いなく秋の大イベントとして定着していました。
ご質問者の思い出も、昭和初期の運動会の様子と推察されます。
* * *
さて、ところがこの運動会、「いつ終わったのか?」が定かではありません。記録や資料が無いのです。読者の皆さん、「三村聯合運動会」の“最終回”について何かご存じのことはありませんか。ぜひ資料館まで情報をお寄せください。
※『広報まつしげ』No.238(2009年10月号)掲載。