Q(質問の要旨).2月初めごろ、環境センター南側・出雲(いずも)神社の横に「町指定有形文化財」と記された石碑があることに気づきました。以前は無かったように思うのですが、いつできたのでしょうか?
文化財が突然出現したので不思議です。
A(前回の続き).ご質問の文化財は、松茂町指定有形文化財「豊久開基碑(とよひさかいきひ)」と、関連する「豊久致祥記念碑(ちしょうきねんひ)」です。
明治8年(1875年)に建立された「豊久開基碑」は、豊久地区の開基(新田開発の由緒)を記す貴重な文化財でしたが、県と町の公共工事が原因となり、昭和54年(1979年)に3キロメートルも離れた広島地区の公園内に移転しました。以降、豊久の文化財は、実に30年以上にわたり「故郷(ふるさと)」を離れていたのです。
しかし、一昨年の秋頃から、こうした状況を憂う声が上がりはじめました。「地域の歴史を伝える文化財は、やはり本来の地にあるべきではないか!」というのです。
かつての工業団地の造成にともない、豊久から隣接する福有(ふくゆう)地区に集団移転した「豊久自治会」の関係者と、豊久の氏神である出雲神社の関係者、また境内地を共有する神明(しんめい)神社(満穂(みつほ)地区の氏神)の関係者が協力し、「豊久開基碑」を再び豊久に戻す取り組みが行われました。
昭和54年当時と違い、豊久の堤防上に出雲神社と神明神社が整備され、ちょうどよい空き地が残されていたのも幸いでした。
結果、文化財の里帰り事業はスムーズに進み、平成25年(2013年)の年末、34年間ぶりに「豊久開基碑」と関連する「豊久致祥記念碑」が豊久の地に戻ってきたのです。関係する皆さんからは、「うれしい。故郷の文化財は、やはり地元で顕彰していきたい。」という声が寄せられています。
「豊久開基碑」の里帰り活動に取り組んだ (左から)香川嘉明さん・佐藤康幸さん・森豊さん |
ところで、昭和30年代から豊久集落の世話役として長年活動された香川嘉明さんから、思いがけない指摘をいただきました。
香川「資料館の学芸員さん、連載記事に誤りがあるでよ。あの石碑は、明治からずっと豊久におったんと違うでよ。実は、・・・。」
学芸員「え、えっ! それは知りませんでした。ぜひ、その話、聞かせてください。」
(3回の連載は終了です。 ・・・でも、続きます。)
出典:『広報まつしげ』295号(2014年7月発行)掲載。